遠藤様
岐阜市
岐阜市・遠藤沙友理様の妹様・お母様
26年前、地元を離れ遠方で暮らしていた沙友理が警察に保護されたと家族に連絡があり、病院へ行くと沙友理は意味不明な言葉を並べ、体を拘束された状態でした。
「統合失調症」と診断され昔の面影はなく、まるで別人のようでした。
精神科病院で60日間の入院を経たのち、実家に戻り地元の病院へ通院していましたが、1年後に建物の5階から飛び降り、多発骨折・くも膜下出血のため救急搬送されました。
1か月間、意識不明の状態が続き、意識を戻した後もしばらくは10年間ほどの記憶をなくしていました。
退院後も妄想に支配された言動、医療関係者・家族に対して罵倒が続き、精神科的治療の拒否をされ家族は疲弊していました。
息子は薬が変わるたびに人格が変わることもありました。
医師と相性が合わず治療が中断すると薬も切れ、息子の人格も振り回され、その都度家族は「どれが本当の沙友理なの?」と困惑し、どうしたら良いのか模索はするものの何が分からないのかさえ分からない状態で、考えようとしても体が拒否して調べる事もできませんでした。
当時は簡単にスマホなどで調べる事も出来ず、家族は病気を理解出来ていない為、息子にとって良かれと思ってやったことが逆効果だった事もあり、今でもあの頃のことを後悔しています。
「車に兄を乗せこのまま突っ込めば楽になるだろうか…」と思ったこともあります。
入退院を繰り返し引きこもりがちだったため、情報が入ってくることはありませんでしたが、沙友理が作業所へ行きだしてからは家族も役員として他の利用者の家族と接する内に徐々に情報が入り、様々な支援がある事を教わりました。
それからくらしケアの田中さんとの出会いがあり沙友理にとって良い支援を考えくださり、長年家族で抱えてきた不安を解消の道に導いてくれました。
訪問看護を受けながら、沙友理にとって出来る事を家族の様子を確認しながら助言してもらったり、施設でトラブルを起こした後に相談に乗ってもらい次の施設を探してもくれました。
60才になる沙友理は年々出来る事が少なくなっていき、高齢の両親としては親なきあとの不安が気がかりでした。
「大丈夫。家で生活出来る!」と言っていた頑固な沙友理も、家での生活に限界がある事を認めたのか1年半くらい前から「施設に入所したい」と言い出しました。
その都度、くらしケアさんが一緒に考えてくれ、沙友理にとってぴったりな施設を見つけてもらい入所することが出来ました。
今では週に1度面会に行くと沙友理は「家より快適」と喜んでいます。
家族としては皆さんに迷惑をかけてないか心配はつきませんが、支援をしてくださる皆様に感謝の気持ちで一杯です。
憎まれ口をたたかれながら、喧嘩になることばかりだけど家族だからね、強く成らざるを得なかったんですよ。
当時困ったことは何ですか?
- 医師との相性が合わないと他の病院を探すのが大変だった。
- ケアマネを探すにも、どこのどんな人が良いかもわからなかった。
- ショートステイがある事を知り、週末に利用したくても60人以上の利用待ちがあり簡単には利用できず、他を探すのも一苦労だった。
- 病院、施設が変わるたびに1から説明が必要で面倒だった。
- 作業所や障がい者施設はカラーや設備も違い、選ぶことも出来ず妥協も必要だった。
- 経験の浅い支援者の言動によって沙友理が傷つくこともあった。
- 病気に対して家族も知識がない為、間違った接し方もあった。
利用してよかったこと
- 本人の心身の状態やこだわり、症状を理解したうえでアドバイスをしてもらえ安心が出来た。
- 本人の趣味嗜好を理解したうえでプラスの表現をしてもらえた。
- 入所先を探してくれたり、入所に関して必要な事を指示をしてくれて助かった。
- 症状に合わせその都度、模索しながら対応してくれた。
- 甘やかすのではなく状態を観察しながら出来る事を考え接してくれた。
- 家族の健康状態も気にかけてもらえ、気軽に相談できる人がいる安心感がある。
※プライバシー保護のため仮名にて掲載させていただいております。
なお、本件対談の原本、音声データは全て弊社本部にて厳重に保管しております。