interview by Naono representative

直野代表がインタビューした内容を掲載致します

NPO法人岐阜県精神保健福祉会連合会 服部信子理事長
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岐阜市あけぼの会 熊谷久子会長
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くらしケア 直野武志代表

直野代表:ではよろしくお願いします。地域には「私だけ悩んでるんだろうか?」と思ってる方が大勢いらっしゃいますが、支援につながることで救われたとおっしゃる方もたくさんいらっしゃいます。そこで、お二人にお伺いしたいことをいくつか用意してきました。もちろん答えたくないときは答えなくて構いません。まず、お子様が生まれた頃の思い出ですがどんな感じでしたか?

熊谷さん:私は長男だったからよく覚えてる。次男三男は忘れるけどね(笑)。2目は忘れる。あなたもそうじゃない1人目はよく覚えてる。うちはね、とにかくね、チック。1つぐらいの時によく目をキュッーとする。それがね、いい顔してごらんって言ったらニコッと笑ってキューってやるの。まさかそれがチックだと思わなかったもんで。だから今だとあれがチックの一番初め。それから、何かぼーっとしてるとき壁に頭をコンコンコンコンとぶつけてる。チックが色々。それからうちの子、幼稚園の年長組から高校入るまで剣道やってたんですけども。その剣道の試合の前になるとトイレで大きいのが出ないと、もう試合に出られない。そうしてから中学校の時の手洗い。ものすごく手洗いを30分くらいやって。今から考えると強迫性障害だった。岐阜で一番大きい剣道のところに入ってたもんだから。小さい頃はちょっとポッコリしてたのね。お腹がポッコリしてて、3~4歳の頃風呂に入った時に、お母ちゃんのお腹大きいねっていうからさ。こうちゃん下向いて、ちんちん見えるかって言ったらさ、見えんて言う。お腹で。勝ったね!(笑)それぐらいポッコリしてたの。剣道でポーンと打って後ろに飛ぶ技があるのね。それで後ろに飛ぶのがあまり上手じゃなかったの。4年生の頃、そうしたら先生が「ちょっと痩せろ」って言われたの。そしたらそれから食べなくなっちゃって。もう本当に食べなくなっちゃって結果3kg痩せたんだけど。小学3、4年の頃の3kgといったらものすごい大きいの。表情が変わるぐらいで、ご飯食べないから朝ご飯も朝、食べないからリンゴを切って8つに切ったリンゴ「これ一つでも食べなさい」と言うと。このりんごを持って「これを食べたら僕は太る」といってポロポロと涙を流すの。その頃にうちの旦那の姉さんが、子供2人が食事中にちょうど遊びに来てて、そのお姉さんが、ちょっと痩せてたんですよ。こっちはちょっとごまをするつもりで、「お姉さん綺麗になったね。どうやったら痩せられるんですか?」って言ったら、ちょっと口の悪い人なんですよ。 いま縁切ってるんだけど。「そんなもん食ってたらブクブク太るの当たり前やわ!」とい言うけ。それを聞いて息子がボロボロ泣いて泣いて。学校の先生に相談しにいったら、やっぱし給食の時も隣の子にあげたり、子供会で会食があった時でも妹を横に座らせて妹にみんな食べろって言って。だから何をするにも思い込みが強い子で。それからテレビを見てて「ホッホッホ」と叫ぶ。手をひ額ところに当てて。全然自分で気付いてない。「ホッホ」って叫ぶのもチックなの。チックがいろいろ激しかった。

それから、その前に幼稚園。名古屋に暮らしてたんですけど。そこで剣道始めた時に、なんか手が荒れたか、なんか体の調子が悪かったもんで、そしたら今のヘルストロンみたいな椅子に座って電磁波の健康器具でその剣道の先生が直してくれたの。そうしたら綺麗に直って。今思うとヘルストロンじゃないかなと。なんで拒食症が治ったかというと、昔、大垣に五十嵐スポーツ教室ってスキーを教えてくれるところがあって、そのスキーもちょっと入ってたもんで、その先生に「この子ご飯食べないんだけど何とか直してもらえないやろか」って一言言っといたら先生が「ご飯残したものはリフトに乗せないぞ」って言われたとか。それで食べるようになって。帰ってきたらうちのご飯がすごく少なく思えて食べるようになった。そんなことがあって、だからチックがひどかったね。

本当に大人しくて成績もまあまあ良くてうち。あの子が小学1年生の時にこっちに(岐阜)、おじいさんが亡くなったもんで帰ってきたんです。そこで岐阜の小学校に入ったんですけど。1年生の夏。その時に先生に言われたのは「この子はいじめもしないし、いじめられもしない。だけど見てる人です。一番いかんのです」と。いじめられるとか、いじめたら先生たちの目につく。でも見てるだけだから、こういう子が一番いけないんですよっていわれたんですよ。「えーっ」て思ったんだけど。あの子はうちの主人も鬱だったから、なんだけど、誘われたら行く、でも自分からは行かない。そうしてから規則を守って、この校区外から出たらいけないって昔あるでしょ。そうすると友達はそのまま校区外に遊びに行く。僕だけ帰ってくる。そういう大人しい子で、岐阜に引っ越してきて小犬をもらったもんで、犬がいて、あの子がなんか学校で嫌なことがあったりすると、すぐ犬のそばに行って、1時間でも2時間でも犬のところにジーっとこうやって見てるような子だった。本当に大人しくて。チックは高学年で治ったんですけど・・・だからうちの主人も、なんかこの人今まで付き合った人と、いろいろ違うなと。星の数ほど(笑)付き合った人たちと何か違う。何か違うなと思って。例えば休みの日など自分の部屋にこもっててカーテンを開けない。だから何か飲み会があっても自分の分だけパーと飲んできて家で一人で好きなところへ行って飲んでくる。人と交わらない。何かこの人おかしいなと思ったら、息子が大学卒業した頃に「統合失調症や」と言われたとき「やっぱりお前うつだ」と分かった。旦那のこと。私には直接言わなかったんですけども旦那が死んだ後、息子に「よく俺も幻聴がよく聞こえた」と。「いつまで寝とるんや」という幻聴が聞こえてきたって。私が良かったのが旦那が普通の家ではお前の育て方が悪いとか何か言われるんだけど、それをうちの旦那は言わなかった。多分自分で分かってたからね。息子にも優しかった。だからそれが普通の家庭と違って良かったかなと思う。

で、何で病気が分かったかって、うち名古屋の大学に行ってたから四年間のつもりで、下宿しなさいねって言って下宿先を探して、近くでバイトも飲食店を探して。1ヶ月に1回ぐらいバイト先に様子を見に行ってたんだけど、1年生の終わり頃に最近(人名)くん出てこないよと。あの子も1週間に1回ぐらい家へ帰ってたんですよ。全部自分でことはやってたんだけど1年生の終わり頃に、「大家さんが酒を飲んでよく喋りに来る」とか「隣の部屋がうるさくて勉強できない」とか多分それが幻聴の始まりだったかなと思ってる。2年生が単位がギリギリだったんだけど何とかやって、2年生の夏にこっち(家)へ帰ってきたんですよ。で、こっちから通うわということで通って何とかできたので。まあ別に留年しても「あんたはストレートで入ったんだからいいよ」って言ったんだけど、お金がもったいないから言ってもう一生懸命通ったんですけど、どこにも就職がダメで、4年生ぎりぎりまで勉強したもんで。そこで、派遣社員の営業で教材を売り込みに行く会社に入った。車であっちこっち行ったりして。それを半年ぐらいやったかな。でももうげっそり痩せちゃって。あれが昼から夜の仕事だから、昼から行って夜中の1時ぐらいまでやるのだった。そのうちに疲れたって。私もまさかそんな病気だと思わないからドリンク飲ましたり、がんばれって言ったりして。そのうちにどうもダメになっちゃって。それで辞めて。うち法学部出てるもんだから丁度JR(岐阜駅)ができたんですよその時に。今のJRがね。そこで警備員っていうか募集してて。法律やってるからすぐ受かったんですよ。そうしたらしばらく研修に行ってて。あそこは研修が一階でやってたんだけど「一番上の線路のある所から研修受けとると僕の意地悪をみんながい言うて。」噂を言う。で、なんで言うんだろうねって心細くなっちゃって。中署へ相談に行ったんですよ自分で。「何とかして下さい」「皆捕まえてください」って言ったら家に電話かかってきて。ちょっと病院に連れてきなさいって言われたんです。だから小さい頃はチック大人しくて。今私達みんなに講演なんかあるときに言うのは大人しくて、まあまあ成績が良くて素直な子気を付けなさい。
 
直野代表:ありがとうございます。もっとさかのぼって、お子さんがお腹にいて生まれたときの思い出はどうでしょうか?この世に生まれてきたときの気持ちとか、やっと会えたとか、お母さん目線で思い出はありますか? 

熊谷さん:そんなのない。
 
直野代表:そんなのなかった?
 
熊谷さん:普通っていうか。そうやね。私は普通で生まれて。割と軽かったし。だから・・・あ、うちね、旦那のお父さんが、やっぱし今で言う躁うつみたいな感じ。今から思うとね。そのお母さんがやっぱし病気だったみたい。そうやって辿っていくと。話を聞くとね。普通だったら男の子産まれたらとか、お腹にいる時から名前なんか決めるじゃないですか。何の関心もなかった。だから名前自分でつけた。旦那も喜んだけど、めちゃめちゃ。何でいうと旦那は子供の扱いを知らなかった。自分が親に遊んでもらってなかったから。厳しくおばあちゃんに言われたみたいな。だからその子供の赤ん坊の話題は一切出なかった。でもうちの実家は大好きだから、ものすごい喜んでくれて。だけど、だから別に何もなかった。つわりは仕事に行っていて。私お腹がすくと気持ち悪くなるので常に食べてて。だから本当に生む10日ぐらい前まで働いてたから。だから普通分娩だったかな。
 
熊谷さん:(服部さんは)どうだった?
 
服部さん:次男が生まれた時は、3月生まれなので年子になるんです。私は、働いていて、上の子にも手がかかるので、大変でした。夫と二人で家事・育児をしました。同時に泣くと、上の子の方に行っちゃうのね。下の子の方は、私が行った頃は一人で泣いてそのまま泣き寝入りしてしまうというような感じでした。お姑さんなんかが、「上の子の方をいろいろ大事にしたほうがいいよ。いろんな判断ができるから。」みたいなこと言われて。まずは同時に泣いたときは上の子ということで。今から思うと、それが良かったのかどうかよくわからないですけど、下の子には手を掛けれなかった、というか、掛けなかったというか、そういう感じでしたね。それから結構一人で遊ぶのが好きだったです。発達障害かどうか分からないですけど、数学系は大好きで、他の教科もまあまあではあったんだけど、まあユニークな考えもしたりして。小学校の頃は忘れ物が多かったりしました。 

熊谷さん:うちもそう。そうそう。
 
服部さん:数学なんかはテストいいんですよ。結構。だけど忘れ物をしたとか。友達達とも遊びに来れば遊ぶんだけど、自分から遊びに行かない。1人でね、ジーっとダンゴムシを見とるとかね。そんなような子で、発達障害かどうか分かりませんけど、そんなようなちょっとお兄ちゃんと比べると違いました。お兄ちゃんの方は誰か友達がいないと学校にも行けない。だけど下の子は1人でも行くから手が掛からない。上の子は手が掛かったの。下の子は学校行事が大体分かってるということもあるし、手を掛けなかったという感じはあります。
 
熊谷さん:今それで思い出したんだけど。うちの3歳ぐらいの時でも紐が1本あればそれでクニャクニャクニャクニャして1日でも遊んでる。ほいでも、うちその頃、最初生まれたこ頃車がなかったもんで名古屋の守山から実家の穂積へ来るまで電車で来るでしょ。そうするとね、もう隣の人の誰でもようし喋る。喋って喋って喋って喋っり倒しとるみたいな。だから1人別に何ともない。紐が1本あればそれで遊んでる。
 
服部さん:知らない人とも話すんだけど別に1人でも大丈夫という感じ。
 
直野代表:次の質問に移りたいと思います。病気が発症した時のお母さんの心境を聞かせていただけますか?
 
服部さん:心境というか、高校時代も毎日遅刻したんだけど欠席はなかったのね。それで本当なら工業高校を出たので会社に勤めるのが普通。どこにも行くところがないので専門学校へ2年間に行ったのね。その時、ちょっと離れていったので詳しいこと分からないけど、欠席はしてないだろうけど、遅刻とかなんとかしたかもしれないという気がするのね。

その後、卒業した時にも自分から会社に務めるということはなくって。2,3か月して、ようやく小さいコンピューターの会社に入りました。1年近く働いたんですけど、夜中に帰ってくるわけね。2000年問題で、すごい忙しい時で。ちょうど風邪引いたから「もうそんな無理して行かなくても良いよ。」って言ったら、そのままずっと10年間引きこもりというか、仕事しなかったわけね。仕事をせずに昼夜逆転もしたんですけど。その時、私は病気っていうことは全然考えにもなくって、いわゆる社会的引きこもりで、もうちょっとすれば働き出すだろうと。引きこもってから5,6年したら生協のアルバイトが1時間2時間できるようになりました。それから30才のちよつと手前で「今働かなければ、もう一生働けない。」みたいなことを言ったので、働くことは良いことか、悪いことかで、ちょっと迷ったんですけど。心配しました。そうしたら、知らないおうちに入り込むという事件があって、即入院、病気だっていうことが分かりました。

今から思えば、10年前から多分引きこもったときから病気が少しずつ進んでいたんだと思うんだけど、その10年間私は、そんな病気っていうことは、全くってなくって。知らないおうちで「僕の彼女はここにおる。」と言って知らないおうちに入り込んで、そこで警察沙汰になって即入院ということになりました。それが分かったときは、すごいびっくりしてね。ちょうどそのころ私は仕事を辞めたので、毎日、市立図書館へ行って、統合失調症いう本が20冊ぐらいあって全部読みました。県図書館にも20も30冊も統合失調症いう本があったので、それもほとんど読んでという感じでした。不安だったのでしょう、友達に「家族会がありますよ」ということを聞いたので、すぐ家族会に入りました。私だけじゃなかったんだということで、ちょっとホッとしたというか、そういう感じでした。

直野代表:焦りのような感情ですかね。それって。
 
服部さん:焦りというかね。もう一生働けなくなるかもしれないし。もしかしたら生活保護も受けなければいけないのか。どういう風にこの子は過ごすのかっていうのがね。不安?治るかもしれないし治らないかもしれないし。治らなかったら、もう働けないだろうっていう風に思って。何が問題なのか分らなかった。 

直野代表:いろんな感情がありましたね。
 
服部さん:そうそうそう。
 
直野代表:なるほど分かりました。熊谷さんどうですか発症したときのお母さんの心境は。
 
熊谷さん:私はね発症した時はね。ちょうどその時にね、新聞にね。あの野球部の男の子が友達をバットで殴り倒して家へ帰ってお母さんが殺人者の子供の母親になるといかんちゅうので、お母さんもバットで殺して東北の方へ自転車でガーっと逃げてったっていうそういう事件があった。それからね、もう一つそんなような事件があって、その子の性格として食パン1つでも、1日食パン1枚でもいいっていうその生活できるという、そういう子。だからおとなしい子。それから気立ての良い子。成績がまあまあ。新聞読んどって、これ全部うちの子に当てはまるなと。そう思ったの。で、その警察から電話があって、その時に、そんな私もその時ヘルパーをやってたもんで、ある程度の知識はあったんだけど医者どこがいいですかって警察に聞いたら、(クリニック名)クリニック教えてくれたんですね。(クリニック名)クリニックへ行ったら、その時は子供も素直に行ったら何にもしないのに「騒いだらいかんよ」「騒いだらいかんよ」って言って。睡眠薬だけをくれたんです。それを飲んでも夜は寝ないし、夜中になると表へ出ていって「ワー、コラー」つって叫んで。叫ぶだけ叫んだらもう帰ってくるみたいな。で、そういうことがあって、その時に私が他の人と変わってたのは、すぐ友達に「うちの子、壊れちゃった」なんて言っていいか分かんないもんで「壊れちゃった」っていいったですよ。「え?壊れたの?交通事故にあったの?」って。いやこうこうこういうふ風んだよって。そうしたら(クリニック名)クリニックを紹介してくれた。(クリニック名)クリニックへ行って、その時も統合失調症って言われないで、不眠があるからいうて先生が今(クリニック名)クリニック、(クリニック名)にみえてね。それでしばらく3か月ぐらい通ってたかな。「僕入院した方がいいんじゃないかな」って言ってて、息子が「あの先生僕入院した方がいいですか?」って聞いたら、「いや、君はどう思う?」って言うから、「僕は入院したくないです」って。「それじゃあいいんじゃないの?」って言われて、(クリニック名)クリニックが夏休みに入っちゃったんですよ。ちょうどその時うちも、旦那が、夜勤なんかが続く時があって。続く時は3日帰って来ないんですよ。で私もちょっと心配だから病院入院するために連れてってよって行って。車で連れてってもらって。で、1人目で「君、入院する?」って、これが今の(病院名)病院にある(医師名A)先生なんです。「入院する」って言ったら、「うん、します」って。2人目聞いて2人目も頭ちょっと若い先生だった。「入院する?」って言ったら、「うん、入院します」って3人目で(医師名A)先生が来て3人必要だからね、「入院する」って言ったら、なんか自分でおかしいなと思ったのかな。「いや僕、帰る」って言ったもんだから、もうそこにがっちりした男の人が2人来てバッと連れて行ったんで、その時にちょうど私達入院させないかんなと思いながらも何の入院の準備もしない、あれもないで一遍ちょっと荷物取りに帰ってくるわけ。そうしたらその間に息子も、お昼ご飯になったんですよ。あの子も、そういえばこれも強迫性障害になるので歯ブラシ。歯ブラシは好きで、いつも100本ぐらいストックしてる。食べたらすぐ磨く、そこでも病室で、ご飯食べて歯ブラシ歯ブラシってうウロウロていたんだって。私達行ってようやく、その意味が向こうの人も分かったっていう。私達もお昼だったもんで、その病院から帰りに、ちょうど回転寿司があるもんで、「そこでお父さん、お昼ここで食べてい行こう」と。そこで思ったのは子供は、こんだけ悪くてもお寿司は美味しいんだって。これは思った。こんな大変な時に、お寿司が美味しいんだと思って。ああ、これが普通かなって。で、用意して持っていって普通だったら保護室に1日か2日なんだけど。息子にあと聞いた話言うと、ここやったら思いっきり暴れてもい良いていう気持ち。それまではね近所の人がものすごく怖かったんだって。だからうちの子は、ここにいると安心なんだって言って普通は1日2日で出るところを、もうちょっといさせてほしいって2週間いた。一番落ち着くから。こんな子、初めてだって言われて。それから家に帰って我に返って、もう本当にそう私も色んな所で本を借りたけど、自分ではそうなんだと分かったんだけど、いざそこで病名を付けられると、もうなんかね1ヶ月は泣き通しだった。旦那が、「またお前泣いとるんか」ちゅうぐらい。で、私はその時ヘルパーをやって訪問ヘルパーやってたんだけど。それも辞めて、でも娘もいるし、ちょうどその前になんかのテレビで子供が自殺したかなんかで、奥さんが私も死ぬって言った時に、お前は、この子の母親でもあるんだよって。そういうのを。それが頭にあって娘がいるから普通にはやってたんだけど、それこそ彼女(服部さん)と一緒であっちの本こっちの本買ったり読んだりして。

それから1ヶ月した後に、これは自分がしっかりしなくちゃいけない。私あの娘が病気ちょっと腎臓が悪かったもんでね。とかなんかあると私がここで元気にならないとって。だから家族が病気になると私太るんですよ(笑)。ここで私がしっかりしないかんつって。その間に旦那は、あの頃はまだ保護者制度っていうのがあったから、東京の裁判所に書類を送って、それの岐阜の地裁に送ってもらって。そこでやっと初めて「保護者」ていうのになるのね。それを旦那はもう1人でやってた。私に何の相談しなくて。ダーッと事務的なことは1人でやってたんですよ。私は私でいろんな勉強して。「洗濯物はどうしますか?」って言われたんですけど、週に2回風呂に入るから洗濯の時に会いに来れたらい良い思って、洗濯を必ず取りに行って。その時に家族会に入って今村さんと会って「あゆみ」にも書いたんですけど「お姉さんですか?」って言われて。「アラー」って言って(笑)。そこでいろんなことを教えてもらったり。そこでも周りの人がみんなおじいちゃんおばあちゃんばっかり。私は自分で勉強しなくちゃいけないと。いろんなそれこそありとあらゆる本を読んで2ヶ月半で退院の話があって、その時に(医師名B)先生まだ研修医だったんですよ。「何月何日に退院になりますよ」って言ったから「先生その日はいかんて。お日柄が良くないもんで」大安この日やもんで2日前だったんだけど、この日に退院させてって。そうしたら先生も、「え、え、え、」言う、「ちょっと聞いてきます。」って言って、「ああいですよ」言うて。私その時に(医師名B)先生に聞いたんですよ。うちへ帰っても規則的な朝早く起こして規則的な生活させないかんですかって聞いたら、先生が「起きてもすることないからな」って。その一言がものすごく救われたんです。「ああ、起こさなくてもいいんだ」と。あの一言がなかったら私も、きちんとやらないかんていってたかも分かんないんだけど。本当にあの(医師名B)先生に今度明後日会いに行きたいと思ってるんだけど。あの先生。(医師名B)先生とこに行くと3つ違いだったんですよ(医師名B)先生とうちの子とね。「先生がこんな立派やっとるのに僕はこんなもんで」といって。そんなことあらへんでちゅうて。だからあの(医師名B)先生が私は本当に、あの先生で良かったなって。そのうちに(医師名B)さんが色々、転々として2回ぐらいついてたんだけど、ちょっと遠くへ行かれちゃったもんで。どうするっていったら(病院名)病院でいいわっていう風なって。その最後の(医師名D)先生に診てもらうようになったんだけど作業所で(医師名C)先生が綺麗で優しいって聞いたらしく、「僕変わりたい」言うて(医師名D)先生に言ったら、優しくて、「うん、じゃあ、曜日変えればいいんじゃない?」言うて今、(医師名C)先生なんだけど。

で、本当に病院のご飯がまずいんだね。やっぱし味が薄いしね。げっそり痩せちゃって今120kgぐらいあるんだけど、もう本当にその頃は65kgから10kgぐらい減っちゃって。で、あの子はもう一つ、この子はナースに「普通と変わってる」って言われたのは、みんなお小遣いをもらって、みんな買いに行ったりしてジュース買ったりするんだけど。うちの子は一銭も金を使わなかった。ちゃんとそういうの連れてってもらうんだけど、うちの子はいいですいうて。こんな子初めてだって言われた。退院してきて私も仕事始めたんだけど、その時ちょうどグループホームに私が移ったのかな。どこどこに何時から何時はいるからねって言うと電話をかけてくるんです。仕事先にも、うちの子はこういう子なもんで電話かかってきたら教えてねって。かかってくると必ず何時に帰るからねって。その4時に帰るって言ったら4時にもう玄関で犬と一緒に待ってるんです。そういう子だった。

もう1つあの小さい頃で思い出したんだけど、幼稚園に行ってる時、私、守山にいたんですね。新聞の集金を始めたんです。その時に1歳だった娘を自転車に乗せてあちこち行ってたんですけど、夜しかいない人がいるので夜にたまに行くんですよね。ほんで4時になったから帰らなくちゃいけないって。うちの子は、お菓子は食べない子だったの。本当にうち2人ともお菓子食べないんです。スーパー行く時でも、ちくわの1つも持たしておけば、もう黙って付いて来る。本当に素直で、大人しい子。集金先で「あ、この人いた。もう一軒、それじゃあもう一軒」って言って、ちょっと帰りが遅くなった時に自分が遊んで帰ってきて多分誰も家にいなくってお腹も空いたんだろうね。戸棚をあちこち探してお菓子を食べて寝てたんですよ。「この子自分でお菓子探して食べた」と。それが不思議っていうか驚き。「わっ、凄いこの人成長した!」と思って、その時に子供が一言言ったことは、「お母ちゃん夜は行ったらあかん」と。でも今でも時々何時に帰るからねって言うと犬と2人で待っとる。玄関でちょこっと座って、そういう子でしたね。
 
直野代表:そうなんですね。ありがとうございます。重複するかもしれないですけど、これまでお子さんのために、お母さんとして何か取り組んだ事って何かありますか? 

熊谷さん:そのころ第三あけぼの苑が、今村会長が作ったもんでなんとかそこに行かせようと思って一緒に連れてったりして。でも行き始めるのにやっぱし半年くらいかかったかな。ぼちぼち。
 
直野代表:作業所でしたっけ。
 
熊谷さん:作業所。そのくらいかな。でもどっかに、やっぱしうちの子も服部さんと一緒で、自分でこんないい歳の男がブラブラしとったらいかんから言って、あっちこっちバイトを探していきよったのね。バイトで住所が分からないと、あのね、統合失調症の子ってね、割とね方向音痴なんですよ。うちの旦那もそうだったんだけど。住所が分からないっていうと、そこまで近くまで連れてってあげるわ、いうて3つ4つのバイトに行ったことあるんだけど、1回行った時は、ものすごくいいお金で2、3万とかなんとかって。それがね、ほらアルサロみたいな、ああいうののチラシを自動車のパチンコ屋なんかの自動車に挟んでくる。このバイトはあかんなと自分で思ったみたい。それからあの子がココイチ?カレーが好きだからココイチのカレーのところに募集があったもんで電話かけようか、どうしようか、どうしようかって。かければいいじゃんて、かけた。「面接に来い」って言われちゃった。「どうしようどうしようどうしよう。」言うて。で、行きました。そうしたら面接受かっちゃいました。「来なさい。」と言われた。「どうしようどうしよう。」って言って。で、行きました。ビデオを見せられました。ああいうのって接客のビデオ見せられて、白い服をもらってエプロンをもらって、それで30分ビデオを見るんだって。それで私らだとビデオ見て、10のうち1やればとか2やればいいと思うじゃないですか?そうするとやっぱし完璧にやらないかんと思うのね。そうすると「とても僕は出来ませんのでもう辞めさせて頂きます」と。なんて辞めるんだと。そこで色々言って辞めさせてくれなかったもんで「実は僕は統合失調症で昔は分裂病、そういう名前で。だから僕を雇うとあなた困りますよ」言うとやっと帰してくれたという。でもちゃんと通帳には360円入ってたって。そういうのがあって。B型に連れて行こうとしたのと、そうしてからバイトに行くんだったら一緒についてってあげるよ。みたいかな。うちの取り組みは。
 
服部さん:うちはね、30才の時に入院した。強制入院。退院したのは、1年もではないんだけど、6か月以上だったのね。それで帰ってきた時には、もう便秘もするし、あまり体力もなかったので、さっき言ったように私が退職した時だったので、一緒に川沿いを散歩して体力をつける。それからどれくらいか分からないが、1ヶ月以上は一緒に散歩した。それから、やっぱりやりたいことが大切で、囲碁が好きだったので一緒に公民館に囲碁見に行ったりとかしてね。家族会の中にご主人が囲碁が好きっていう方が見えたので、その家族会の会員さんのおうちへ行って、始めは1回か2回私も付いて行って、あとは自分で行く。公民館の囲碁も初めは私が1回か2回一緒に付いて行って、あとは自分1人で行く。あとは加納の方にもそういう囲碁あったみたいで、それは自分で探していったりした。囲碁ぐらいかな、始め一緒に付いて行った。趣味は囲碁ぐらいになるのかな。だから一緒に付いて行った。 

熊谷さん:B型も時々行っとったものね。こういうのがあるよ言うて。行ったことあるのでA型とかB型ね。
 
服部さん: なんであそこ行ったかな?B型作業所グリーンリーフあそこは、なんで行ったのかしら。はじめは何しろ私も付いて行って見学して、それから毎日半年ぐらいはね、グリーンリーフに毎日行った。理由は、そこの職員さんが若くて綺麗なPSWだと思うんだけど。そこでは一緒にいろんなところに旅行もしたりとかね。そういうこともグリーンリーフやってくださったので。頑張って行けていると思ったんですけど。そのPSWの方が自分に好意を持ってないことが分かって、1年近く行った時に、そういうのが分かって、そこで辞めてしまいました。その後2,3年は作業所も興味なくなって。病院のデイケアなんかも興味なくって。一時は行っていたこともあるんですけど。それであるとき3,4年経ってからかな?自分で岐阜市内のB型作業所とかA型作業所をたくさん見に行って。それで向こうの職員に「ちゃんと予約を入れて下さい」って言われたんだけど、「予約通りに行けないから」って言って突然行くという形で、たぶん20以上の作業所を回って1つ決めたんですね。A型を。主治医に言ったら、「あなたは今はB型も行ったことないのに無理です」って言われて。そこでペシャンとなって。それから今まで、ずっと作業所は行ってないんですよね。
 
直野代表:囲碁のあたりは人との関りを持つきっかけ作りにお母さんが動いたっていう感じですか?
 
服部さん:そうそう。
 
直野代表:なるほど。
 
服部さん:結構ゲームが好きなのでね。1日中ゲームをやっていて、主治医に私が「ゲームばっかりやっていていいでしょうか?」と聞いたら「健常者でもやってる人もいるし何も趣味が無いよりは良いよ」なんて言われて。言っても止めないからね。「ご飯だよ。」って言うと、食べる時だけは10分とかそこらは止めるんだけど、またすぐやるんです。ちょっと心配な時もあったんですけど、しょうがないなわと思って。一時は、ゲームも新品を買ってくるのでね。高いのを買ってくるの。ゲームに多分相当のお金を使ってると思うんだけど、結局障害年金も息子の通帳に入ることになってるから、年金のお金は全部そういうものになっちゃう。 

直野代表:なるほど。
 
服部さん:今は、ほとんどゲームをやってないです。
 
熊谷さん:うちの子ね、学生時代からね、お風呂長かったね。2時間。で、友達に誘われるでしょ。そうすると風呂に入って行きたいもんで、「うん、じゃあどこどこでね。」って言って、それから2時間風呂に入って、それから行くでしょ。おらへんやね。これはあったね。みんな風呂は長い人多いね。お宅は長くない?
 
服部さん:お風呂は割と長かったような気がするね。去年の10月に入院して1月に退院してきたんですけど、病院の中でもお風呂になかなか入らなかった。今も10日とか2週間に1回しかお風呂に入らない。 

直野代表:そうなんですね。答えにくかったらいいんですけど、くらしケアを利用したきっかけや何か変化したことなどがあれば教えていただけますか?
 
熊谷さん:うちはね。だから「これは良いわ」と思って3ヶ月来てもらったのかな。でもうちの子が飽きるっていうか、よく前もヘルパーなんかのあれの聞いたんだけどヘルパーさんが来るからいうて掃除しなくちゃいけない。そういうのはなかったんだけど。やっぱしヘルパーさんと違って訪問看護は体が心配じゃないですか。で、体のことを聞いて血圧取って、それからいろんな質問をされるのは良いんだけど。「どうです?」って言われると。だから診察の先生と一緒ですよ。「どうですか?」って言われると答えなくちゃいけない。それが辛い。
 
直野代表:そうですね。その時期は僕もよく知ってます。服部さんいかがですか?
 
服部さん:私はアパート探しが、すごく楽だったので良かった。自分達親だけでやろうと思うと大変なので。ただ訪問看護に関しては、本人は、自分は何でもできると思っているのかな。返答するなら正確に返答しようと思っているみたいで。私はいなかったからよく分からないんですけど、一番初めの時は結構受け答えをきちんとやったらしいんですけど。2回目からそれが面倒くさいんかな。自分の興味があることは喋るんだけど全く興味がないから寝てる。あえて昼夜逆転みたいな形で寝ている。1年ぐらいすれば慣れるのか?結構そういうプライドが高いというのか、自分が正しいっていうのが強いのです。先生も、「統合失調症だけじゃなくって発達障害みたいなものもあるので、こだわりが強いので、結構それが大変です」よって言ってみえます。自分の好きなことならいいんだけど、なじめない。訪問看護は私としては、1年ぐらいは続けようとは思うんですけど、それがなじめるのかどうか。興味があることならいいんだけど興味がないことは何もやりたくないということがあります。 

熊谷さん:うちは反対にその時間ちゃんと家におらなくっちゃいけないというその縛りが疲れちゃったみたい。
 
直野代表:そういう方いらっしゃいますよね。私たちに限らず、支援者に対して期待する事はありますか?BでもAでも。我々のような訪問看護でも何でも良いのですが、支援者に対して家族として期待することってあります。
 
熊谷さん:みんなに言われてるのは(職員が)変わらないでほしい。
 
直野代表:B型でも訪問看護でも「支援者は変わらないで欲しい」ということですね?
 
熊谷さん:それとやっぱし私がヘルパーして分かるんだけど、そう言われても、その時間に行けないよね。契約できないよねっていう。だからそれが嫌で(人名)さんところは変わった。自分の好きな時間にちゃんと来てくる。それととにかく変わるのが一番で、くらしケアさんも段々大きくなって、あちこちやるといい人をやっぱりリーダーにしたいよね。そうすると来る人なんか変わったりするよね。それがやっぱしみんなは一番困るとは言ってるよね。私もあと10年ぐらいしたら本当に誰か1人繋いでいきたいとは思うんだけど。訪問看護と当事者が一緒に行くっていうのはダメですか?
 
直野代表:ダメではないです。むしろやるべきだと思っています。
 
熊谷さん:だからピアヘルパーああいうのも市なんかで、もっと本当にお金を出してくれて1時間500円でいいから、だからヘルパーさんに付いて行くとか。訪問看護の人に付いて行くとか。最初のうちは散歩もちょこちょこしてもらっていたんだけど、それもやっぱり飽きるのね。で、もっと訪問看護の人たちで、いろんなことを考えてきて欲しい。少々脇からはみ出すような訪問看護が良いんじゃないかなって思うんですよ。

直野代表:なるほど。

熊谷さん:診察の先生なんかみたいに「どうですか?」って言われると。「ウーン・・・」で、こっちが何か言うと「ウーン・・・」て。二人で本当に2,3分見つめ合ってジーと黙ってる(笑)。それでおしまい。じゃなくっていろんな話題を。この子は何が楽しいか。うちの子歴史だと2時間でも3時間でも喋るんですよ。そういうのをもうちょっと勉強してきて欲しいかなってそういう話は息子から聞いたことないし、他の人からも聞いたことない。ただ仕方ないから惰性で使ってるっていう。親からしてみれば良いんだけど、割と統合失調症の子っていうのは割といらないみたいな。(人物名)さんのとこみたいな喋りたくて仕方ない。ああいう人だといいかなって思う。その子が何を欲しているか。こないだこうだったから今度こういう風にって喋りかけるほう。待つんじゃなくって、それをやってくれたら、もっと今日は来るんだって、あの人が来るんだって男でも女でも良いいいんだけど。そういう風に変わっていったら。でも私らもあるんだけど本当に下手なことを言って、もしもその子を傷つけちゃったりとか何かがあると思うと下手なこと言えないよね。マニュアル通りにしかできないよね。でもそれをお互いにやれる関係まで行けばいいんだけどね。そこまでなかなか行けないんだよね。半年一年になるとね。(人物名)ちゃんのとこなんか、ずっと続いてるしね。
 
直野代表:服部さんどうですか?
 
服部さん:うちの子の場合じゃないんですけど。当事者の中で作業所は向かないんだけど、ちょっとお金がもらえる仕事。例えば退院支援みたいなこと。当事者がお金がもらえるような、保健所と繋がってというか、支援者と繋がりながらできる仕事、そういうのを望んで見える人がいます。どのくらいの人数かは分かりませんけど、みえますね。
 
熊谷さん:昔ね。岐阜市で、10年ぐらい前にどっか。茨城とかあっちの栃木かなんかあっちの甲州かあっちの方からケアヘルパーが3人来て、それから付き添いの人も来て、国際会議場の1番上、あそこで岐阜市でなんかそういうモデルケースを話されて会議があったんです。私そこに(人物名)さんと一緒に行ってるんですよ。だからピアヘルパーっていうのを、ちゃんと市からお金を出してくれて一緒に行きなさいとか。そういうのが。その人達がやってるのは退院が決まった人達半年ぐらい前からバスの乗り方を教えたり電車の乗り方を教えたり、そういうことをやっていた。それから病室行ってお話し相手になったり、そういうのももっとピアの人達ができないかなって。
 
服部さん:でもそういうのって地活(地域活動支援センター)が少しやってるよね。でもどの程度か。ごく一部の人ね。当事者だけみたいなので広がるといいのかもしれないです。

熊谷さん:でもうちの子がちょっと調子が良くなって。悪くなってから退院してから3年ぐらいに、他の市に講演に呼ばれたんですよ。(人物名)君も連れてって、ちゃんとお金をもらえたからね。いろんなこと話して。ものすごく丁寧にあの子話してくれたんです、1時間ぐらい。その翌日からガクンと3ヶ月ぐらいダウンしたんです。だからそれが怖いんですけどみんな。だから講演なんかすると、その時は張り切ってやるんだけど後がガクンと来るんです。それが怖いからなんだけどね。
 
服部さん:うちなんかは親としては、どっかに繋がってもらいたいね。訪問看護もすごく良いなと親は思うんだけど。うちの息子に関しては、自分は何でもできると思っていて、いろんな手帳の手続きなんか自分がやるわけね。多分いろんな書類が来ても、自分で役所のその担当の所へ行って自分で聞いてやるみたいだから、自分は何でも一応できると思っている。親としては利用して欲しいんだけど、本人は必要ないと今のところ思ってるみたいで、難しいなというのか。慣れれば利用してくれるのか、そこら辺が親は分からないというのか、子供がどういう風なら利用してくれるかっていうのもよく分からない。 

熊谷さん:私はお母さんやお父さんが、もっと訪問看護の人を自分の相手として、もっと遠慮しないで使って欲しい。子供しかダメなんじゃないかって思っているから。だから子供は子供と喋って、お父さんやお母さんは「自分の相談を」と皆に言ってるんだけど、訪問看護に自分の相談をしてほしい。それでも子供の為になるし、なんか親が遠慮してる。訪問看護はそれをもっと親に教えて欲しい。子供さんが寝とったら会えないんだし、帰したらその人はお金にならない。
 
服部さん:帰しはしないんだけど。
 
熊谷さん:だから30分、お母さんが喋ればいいんだっていうんだけど、何か遠慮してる。これは「権利なんだよ」と言う。それをもっと新しく行った家に言うて欲しい。
 
服部さん:大きな悩みは言うかもしれないけど細かい悩みまでは言わないかもしれないね。
 
熊谷さん:お年寄りのケアマネでもそうだけど、ヘルパーでもそうだけど行きました。「はい、今日からお願いします。」と言って「スッ」と入れるようなとこなんてないって。これ何回も言うんですよ。玄関で断られる。それを何回も何回も行って1年2年行ってやっと本人に会えるんですよって言うんだけど、そこまで親が我慢できない。そしてから遠慮しちゃう。来たら来たで遠慮しちゃう。それから(人物名)君とこみたいに、「俺が話してるうちはお母さんどっか行っとれ。」と。子供に命令されとる。それではね、あかんと思うんです。だから「お母さん私と話しましょうか」って「息子さんと20分話すから、お母さん10分話しましょうか?」と、そうやって話を振り向けてくれるとお母さんもものすごく気が楽になると思うんだけどな。
 
直野代表:貴重な意見ですね。あと2つだけすいません。ご自身がこれからやってみたいことってなんかありますか。お子さんのことじゃなくて自分自身が何かやってみたい楽しいこととか。
 
熊谷さん:今年、清流マラソンのボランティアなくなっちゃったんですよ。申し込んでおいたんだけどね。まあ帽子とシャツはもらえたの。この間ウィメンズマラソン三日間行ってきた。朝から晩までボランティア。へとへとになって。
 
直野代表:服部さんはどうですか?
 
服部さん:私は公民館で絵手紙をやってるのね。月に1回。それで絵手紙書いたら、孫とかに「誕生日おめでとう」と、出してるんだけど。今ちょっとね、公民館がコロナで中止が多いので、あまりやってない。たまにやることもあるんですけど。その程度かな?映画も良いものがあったら行きたいし。時々は行ってますけど。変わった家なのでテレビない家なので。 

直野代表:そうなんですね。

服部さん:私ね、テレビ見るとジーっと前に座っていて、コマーシャルになってもジーっと座っている人だから仕事が出来ない。(笑) 

熊谷さん:コマーシャルも面白いもん(笑)
 
服部さん:それでそうすると何もできないから。
 
熊谷さん:私、市役所なんかに行ったときは、もう何年も前から行ってるんだけど、中学校高校へ行って、その4月とかPTAの会の時に講演をさせて欲しい家族会から2人行って例えば登校拒否の人達の場合、半分ぐらいはそういう病気があるかもわかんないよと。だから病気は病気で放おっておかないで、私の友達もそうなんだけど、中学高校の時にちょっと登校拒否が続いて「お医者さんに連れて行きなさい」って言われたんだけど、お母さんが仕事が忙しくて、そのままで30過ぎになって。だから障害年金を言われたけど取る資格がないみたいな。だから国民年金も払ってなかったから。ちょっとでも1回でも2回でも何回でもいいから、そこで見てもらって、それの履歴があるとちゃんと20歳からもらえるよと。だから20歳過ぎて、大学へ行ってるから、うちの子は卒業したら会社へ入って、そこで企業年金やればいいと思っとる。その間に病気になるのが1番多いんだよと。だから1回でも、そういう時ダメでも1回か2回でもそう何回でもどっかに行ってたら、それで年金は取れるんだよと月に6万。これをお話ししたい。だから子供は子供で、親は親で、ちゃんと子供にもあなたがおかしいと思ったら、それは心の病気かもわかんないから必ず病院に行きなさいねって。親はちょっとなんか悪くても、あんた1人で行けるやろと。そうなっちゃう。そうすると子供行かないでしょ。そうすると年金がダメになる。今こんだけシングルマザー多いって。なんでシングルマザーが多いか。なんでこんだけみんな母親が苦しんでるか。そういうダメな男を作るから。これ中学校から。もう結婚したら離婚はするな。とかちゃんと。私の知り合いとか、皆旦那がDVとかなんとか、発達障害か多いんですよ。そういう子がほとんどが離婚してる。お金ももらえずにシングルマザーで。だから今「シングルマザーにお金をあげようあげよう。」とか言ってるけど、そういうシングルマザーを作らない制度を何で作らないの。これ本当に。だから「みんなねっとサロン」っていうの見てます? あれでも旦那のDVとかなんとかで反対の場合もあるんだけど、もう多いのは旦那のDV。うちの旦那はうつ病ですとか。DVですとか。お金も入れてくれないとか。そういうのを作らない。教育が必要。
 
直野代表:講演でそういう話をすることで理解が促進されたりとか気付いたりとかして、いじめは減ったりとかあるかもしれないですけどね。
 
熊谷さん:例えばうちの子供はこういう風でチックがあったんだよって。そういうお母さんに「ちょっと気を付けなさい」「大丈夫ですか?」みたいに。そういうのを親に教えてあげたい。
 
服部さん:2022年の教科書だと思うんだけど、高校の保健の教科書に統合失調症っていうことが載るんです。これは決まってること、22年だと思うんだけど。それは、ずっとね30年ぐらい前にも載ってたらしいんだけど、ひどい差別的内容が載っていたらしいのね。
 
熊谷さん:分裂病の時はね。
 
服部さん:そうそう分裂病。だからそれが30年ぶりに来年度くらいから載るので、高校だけじゃなくて、小学生の家庭科というかね、体育みたいなところでもいいんだけど、載せて欲しい。「今悩んでるのは病気かもしれませんよ」とね。「あなただけじゃないですよ」ということを教科書に載せて。さっき熊谷さんが言われたように現実的にそういうお話ができると良い。私は無理やけど熊谷さん、やって(笑)。

それから岐阜市でもね。1年か2年前にインクルーシブ・アドバイザーという制度が出来ました。あれね、私が係で1回だけあったの。それを具体的に言っていいかどうか分かんないですけど。裁判所で鬱の人、統合失調症ではなかったんだけど鬱の人を初めて採用して、どういうことに気を付ければいいですかっていうことで、家族会の私と、大学の先生と2人で。市の職員が4人ぐらいで裁判所のその担当の所へ行って、直接の上司とか、その部の人とかで「こういうことを心が掛けてます。」と。「あとはどういう事に気を付けたらいいんでしょうか?」みたいな話し合いが1時間ぐらいあったんですけど、そういうのも、どんどん増えればいいのかもしれないですね。

熊谷さん:今いじめが1番多い学年は小学2年生なんだって。こないだNHKかなんかでやってたんだけど。その親をたどるとDV、発達障害。だから「みんなねっとサロン」でうちの親は昔から入院してますとか統合失調症ですとかヤングケアラーとかってありますよね。本当に精神が多いんですよ。家でいじめられるから、それを学校で発散する。元を断たないとダメ。
 
直野代表:予防のような感じですよね。
 
熊谷さん:そうそうそう。本当に。みんなねっとサロンね。もう見るのが辛くなるぐらい、そんなことがあるんだけど。
 
服部さん:うちの子は43歳なんだけど。家族会でやっていても42、3才の子が多い感じがするのね。それは精神の病気と直接は関わってないかもしれないんだけど。うちの息子の上の学年は、中学校にタバコがあるとかいうすごい状態だったのね。それは外に見えるのね。うちの息子ぐらいから、そういうのは厳しくやるもんで表面化しないけども、中でのいじめがどんどんどんどん広がったの。その時期なの。うちの息子の2、3年上は、すごい暴れるっていうのかね。どこの中学校行ってもタバコはあるし先生も「ガーガーガー。」言うんだけど、それ見えない感じ。それが病気とどういう風に関わっているかはわからないですけど。なんとなく42、3歳の当事者が多い気がします。 

直野代表:因果関係はありそうですね。ありがとうございます。最後の質問です。同じ境遇の方、まだまだ支援に繋がっていない方達に、家族会のことなど、何かメッセージがあればお願いします。
 
熊谷さん:支援者を持とう。1番言いたいのは〇〇〇は頼りない。
 
直野代表:それは書けないです(笑)
 
服部さん:小さく書く(笑)
 
熊谷さん:〇〇〇も頼りにならないよ。だから支援者を持とう。
 
服部さん:昔、熊谷さんからも言われたんだけど、SOSを出せる人を3人ぐらい持つ。主治医でも良いんだけど、訪問の方でも良いし友達でも良いんだけど、「3人ぐらいはSOSを出せる人を作ろう」みたいな感じ。それと、やっぱり家族会ですね。「本を読むよりもお顔を見たほうが安心できますよ」っていうような感じかな。 

熊谷さん:本当に。だから私らも近くの人やと電話かかってきてお近くでしたら来てください。(人物名)さんみたいに今度お願いに行こうと思ってたんだけど、また電話します。体が悪かったら行きますよと言う。そうやっていつも面談を2時間ぐらい1人に対してやったりできる。だからあの昔、自立とは何ぞやと。支援者を見つけること助けてと言える。これですね。だから親も何でみんな自分の子が精神(障害)というと言えないのか。風邪や盲腸やガンだったら色々調べるでしょ。なんで精神やったらそこで止まっちゃうの?と。それが私、みんな、あんたが変わっとったやつってい言うだけど。もっと助けてって。そう言いたい。だからうちも近所の人に助けてって言ったら「こういうところが良いよ」とか「どうやって壊れちゃったの?」って話し聞いてくれる。うちの子は今は町内会でも出すけど。みんなにお酒ついで回って腰疲れたから言うてあくる日接骨院行っとるみたいな(笑)。気遣いすぎるんだけど、もっと助けてって近所の人みんな知ってるから助けてって言うの。うちらでも入院した時でも家の隣の人に言って、まず1番隣の人から行くらしいね。やばいっていうのはね。そこで誰々さんいますかなんて言って隣の人が昼間は良いけど夜はちょっと怖いでねって言って、でもこっちの人はそこで生まれ育ってるもんで「(人物名)ちゃんはい良い。優しい子やから」って、とりあえず慰めてくれる。それだけでもいいからもっと支援者。それで嫌やったらもっと支援者をもっと探しなさいよと。それですね。一人で引きこもってても何もならないから。
 
服部さん: でもやっぱり私から見ると熊谷さんみたいに隣近所にすぐ話せる人は極少ない。私もそうなんだけど。友達にはね、言ってはいいっていう感じの友達には話しますけど。やっぱり戦争中から差別偏見はすごいし。色々ね。結核やないけど・・・名前出てこないけど。
 
熊谷さん:らい病。
 
服部さん:らい病みたいなことと同じでね。やっぱりそういうのはさ、それはおかしいと思いながら。精神病を差別するのはおかしいと思いながらもやっぱり頭のどこかにあるからさ。誰でもいいからペラペラっていうわけには私はいかない(笑)。今は、10年前と比べれば保健所だって本だって、統合失調症っていう言葉がいっぱい出てるからね。別にあえて隠そうとはしないけど、あえて言おうとは思わない。聞かれれば言うけれども。その程度ね。やっぱり他の引きこもってるお母さん達もね。孤独なお母さん達もね。やっぱり、なんかおかしいと思いながらも誰かれに言っても良い事とは多分思ってみえないだろうね。家族会ならい良いろうとかね。近所のあの人なら良いけれども、隣のあの人には知られたくないとかね。というのはあるんじゃないかなと。ただ私が10年前に家族会に入った時は、親戚に知られたくないとかいう人が多かった。今は何となく引きこもっとる程度のことは、親戚には言ってある人が多いね。うちなんか、精神の病気とは言ってあるけど、喋ろうと思ったら、ものすごく説明しないと理解してもらえないしね。いい加減に説明する誤解されるかも? 

熊谷さん:うちはここで隣の人が気になるんだったらいうてすぐに実家の方に連れて行ったから。犬も一緒に連れて行っていうから娘が送ってくれたし。親に言いたいのは子供に二言目には「子供に何かあったらどうするの?」「どっかに出てって何かがあったらどうするの?」って言うから何かがあったら警察も救急車もあるんだし。もしもそこで最悪死んでしまったとしても、それはあなたのせいじゃないから、そんなこと思ってたら何もできへんよって。だから子供のもしもを心配しないでほしい。20まで育てたらいいじゃん。もう死のうが生きようが。そう思って親が自分の生活を大事にして欲しい。子供が1番思っとるのも親が元気でいて欲しい。楽しくして欲しい。明るい顔でいて欲しい。だから旅行でもなんでも行けばいい。子供のためやから行けないとか。子供がその間何かあったら、もしも何かあったら、その「もしも」にとらわれないで欲しい。それは言いたい。だってコロナで死んでいく人もいるんだし、交通事故で生まれてすぐ死んでいく人もいるんだし。そう思ったら20歳まで子育てさせてもらってありがたいと思わないと。と私は思う。
 
服部さん:会員さんも半々ぐらいになってきたと思うんだけど、熊谷さんの考えが素直に聞ける人と、熊谷さんいうことも分かるけども受けきれないっていう人と半々ぐらいかな?それから、兄弟の結婚のこととかで困ったりということもあるんだけど、うちの場合は30才で分かったので、実際は20歳ぐらいで発病してると思うんだけど、長男も長女も結婚しちゃった後だからね。親戚にそれなりに引きこもってる子がおるということは話してはあるけれど、兄弟には今のところ負担はかけてないかなと思う。 

熊谷さん:今うち息子に月に5万円あげて、これで全部朝昼晩を自分でやりなって。それと自分のあの子使わない子なんだけど、自分の年金は自分で管理してるんだけど、だから帰ってもご飯作ってなくても何にも。だからすべて任せる。親が元気なうちに任せる。「どうやってやったらできるかしら?」とか何とか。親がいるうちに失敗するべき。そうやってそれは今いってる。いくらでも取り返しはできるから。

服部さん:子供は結構、お金のことを心配しているみたいね。親が死んだときに。障害年金だけでやっていけるだろうかと。それについて、1回、詳しく話さなければいけないなと思うんだけど、何かの機会にはね。これだけの予算があって、これだけの税金がかかるとかいうのが、たぶん心配なんだろうけれども。

熊谷さん:どっちかが亡くなってからでいいと思う。うちは何もあげるものはないから、旦那が死んだら(家の名義)を変えちゃって。固定資産税は自分で払っているけど。あの子はポストを見るのが好きなのね。ガスがいくらだとか、電話代がいくらとか、まずそのへんにポンと置いておく。それにい今まだ母親が居るから甘えてる。今は2人ともしっかりしているから現実味がない。だから親が弱いところを見せていく。親が元気だと親はいつまでもいると思うから。

服部さん:母親に甘えているのか、小さい時に反抗期がなかったせいか知らないけど。

熊谷さん:反抗期はないね。統合失調症の子は反抗期がない。本当に優しくって。だからみんなびっくりするのね。だからみんなに「腹が立ったら小さい頃を思い出せ」と言ってる。あんなに優しくて可愛かった子。それを思い出したらガーっと怒れなくなるよねと。本当に良い子。だから頭が良くて優しい子が統合失調症になる。アホはならないから(笑)
あなたが悪いんじゃない。病気なんだからと教えてあげたい。

直野代表:今日は長い時間、貴重なお話を聞かせていただきありがとうございました。

熊谷さん:お疲れさんでした!

【編集後記】
今回、岐阜の精神保健福祉の重鎮ともいえるお二人にインタビューさせていただきました。応じていただいたのはNPO法人岐阜県精神保健福祉会連合会の服部信子理事長、そして岐阜市あけぼの会の熊谷久子会長です。お二人との出会いは平成28年のくらしケア創業時にさかのぼります。かれこれ5年ものお付き合いになりますが、100分にもおよぶロングインタビュー自体が初めてで、お聞きする内容も初めてのことがたくさんありました。インタビューを文字に起こす作業をしているうちに、編集するのが惜しい内容ばかりであり、当事者の方、ご家族、そして支援者にとって示唆に富んだ、たいへん貴重な内容だと思いましたので、個人情報に配慮しつつインタビュー内容をほぼ全文公開することにしました。ですので、私たちにとって耳の痛い内容もそのまま掲載しています。支援者の皆様にも参考になればと思います。
文字ではインタビューの雰囲気が伝わらないのが残念ですが、服部様も熊谷様もとても明るくて素敵な方で、会ったことのある方ならおわかりかと存じます。おふたりの明るさに救われた方、希望を持った方は多いのではないでしょうか。精神や発達のことで悩んでいる方、誰を頼ったら良いのかわからず悩みを抱え込んでいる方、未だ何も支援につながっていない方に、ぜひふたりの存在を知っていただけたらと思います。同時に、このインタビューを通じて精神障害者家族会の存在を広く知っていただけたら幸いです。
令和3年5月26日
株式会社くらしケア 代表 直野武志


NPO法人 岐阜県精神保健福祉会連合会 058-271-8169
ホームページ https://gifu-karen.jimdofree.com/

岐阜市あけぼの会 090-6578-9838
ホームページ https://akebonokai-gifu-city-kazokukai.jimdofree.com/

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